介護をするにあたって罪悪感と後悔はつきものです。
「何で、こんな事をしてしまったのか?」
「こうすれば良かったのではないか?」
常にベストを尽くせるわけではなく、やった事への自問自答の繰り返しです。
私たちは、そのような罪悪感と後悔にどのように向き合っていくべきなのでしょうか?
もくじ
罪悪感と後悔の段階
介護はその発覚から被介護者が亡くなるまで続きます。
私の経験に則って介護の過程の各段階での罪悪感と後悔について振り返ってみます。
第1段階 発覚
「何故、気が付かなかったのか」
介護しなければいけない状況になった時・・つまり母が認知症である事がわかった時の後悔は「何故、今まで気が付かなかったのか」というものでした。
実は予兆らしきものはあったのですが、自分の親が認知症である事を認めたくないという思いから、その予兆を無視していました。
「もっと、早めに気がつけば、色々と対処できた事があるかもしれない。」
そのような事も思いました。
ただ、早めに気がつけば、認知症にならずに済んだわけでもないのかなとも思います。(気づいたときはもう遅いでしょう・・)
この後悔は、自分の心構えや準備(お金の管理など)に関するものなので、大変な時を過ぎ去ってしまえば、引きづるようなものではなかったです。
第2段階 介護の日々
「何であんな事を言ってしまったのか」
介護が始まった当初は、おかしくなっていく母を見つつ、やらなければいけない事も多く、本当に辛かったです。
そんな時に、母の物盗られ妄想が重なると、こちらも頭がおかしくなり我慢できずに怒鳴ってしまったりする事もありました。
「何であんな事を言ってしまったのか?」
そのような後悔の繰り返しです。
口で暴言を発するくらいならば、一時的な感情の結露で済む話だと思います。
しかし精神的に一番追い込まれた時には「介護自体を放棄できないか」・・そんな不穏な事を考えたこともありました。
ただ、これらについては、以下の記事にも書いた通り、私がそれ以上、追い込まれないためには仕方がなかった面もあるかと思います。
後悔への対応としては、心に思ってしまった事はどうしようもないので、口に出してしまった事に対しては素直に謝る・・それくらいでしょうか。
第3段階 グループホーム
「いつまで私はここにいなければいけないの?」
表題の台詞は、私の言葉ではなく、母の言葉です。
この言葉を発した母の顔を忘れる事は出来ないでしょう・・・
私は、母を半ば騙し討ちした形でグループホームに入居させました・・・
この事について後悔はないですが、罪悪感はずっと引きずっています。
後悔がないのは、おそらく今から時間を巻き戻して同じ場面になったとしても、同じ選択をするからです。これは仕方がない事なのだと思います。
しかし、罪悪感は拭い去れません。
自分が付きっきりで母の世話をすれば、母はグループホームに入る必要はないし、現に世の中には、そのような選択をしている方もいます。
しかし、今後、母の症状が悪化する事などを考えたら、とてもその選択肢は選べません。
このような事が常に頭の隅にある状態です。
つまり、この罪悪感とはずっと付き合っていくしかないのです。
第4段階 最期
「本当にこれで良かったのか」
最後は、亡くなった時、そして亡くなった後でしょう。
私の母はまだ亡くなっていませんが、病気で死んだ父のケースや施設で突然死した兄のケースもあり、大体は想像つきます。
決して、自分は精一杯やるだけの事はやったというふうにはならないのが今からわかっています。
きっと、いろいろな事で、後悔するのでしょう・・
こればかりは、時間が経ち忘れていくのを待つしかないのだと思います。
まとめ
以上、介護を進めていく段階で生じる罪悪感と後悔について述べてきました。
冒頭で「どうやって向き合っていくべきか」と書きましたが、実際は、どうやっても罪悪感も後悔も消えないので、そのまま受け止めるしかないというのが結論です。
結局、今出来ることを精一杯、しかし自分を追い詰めず無理のないようにしていくしかないのでしょう。
後は、ついつい、自分が出来なかった事を考えてしまいがちですが、実際には自分がいたから出来た事なども多くあるはずなので、そのような面にも注目し、自分を褒める事も大事だと思います。