「自分が認知症になったとしても、自分自身は何もわからなくなってしまうから、どうでもいいや。周りは迷惑かもしれないけど・・」
そんな言葉を時々、耳にします。
認知症の事をよく知らないと、いきなりボケてぼーっとしているイメージがあるのかと思います。
「本人は、何もわかってないから、幸せなのかもしれない・・・」
それ、大きな誤解です。
認知症で一番辛い思いをしているのは認知症である本人です。
もくじ
認知症=ボケた?
よく認知症になった人の事を「ボケた」という言い方をしますが、そもそも「ボケる」という言い方が誤解を招いていると思います。
認知症になった私の母の印象は「ボケた」というよりも「気がふれた」という印象の方が強かったです。
やはり一番驚いたのが「もの盗られ妄想」です。
最初は「お金を盗まれた」とか言っても、「認知症=もの忘れ」の印象があったので、次の日にはすぐ忘れるだろうと思っていました。
でも何故だかそういう事はずっと覚えています。(実際に盗んだわけではないので、覚えているというのも変ですが・・)
そして、そのような状態の時、疑いをかけられる周りも辛いですが、一番辛いのは本人です。
本人からすれば「身内に物を盗まれる」「自分の言ってる事を誰も信じてくれない」という事が起きているので、相当辛いんだろうなと思います。
出来ていた事が出来ない感覚
そして、出来ていた事が出来なくなっていくのは本人が一番よくわかっています。
自分が出来ていた当たり前の事が一つ一つ出来なくなっていく・・・って相当辛いと思いませんか?
認知症のテストをやった時にも自分が当たり前の事が出来なくなっている事を思い知らされます。
本人は「いきなりそんな事をできるわけない」と怒っていましたが、途中でやめたがるのは屈辱の現れかと思います。
認知症のテストでは
- 自分や家族の年齢を言う
- 知っている野菜の名前を言えるだけ言う
- 言われた3つの数字を逆順に言う(「325」と言ったら「523」と言う)
- 同じ手指の形(グー、チョキなど)を真似させる
等のテストがあります。
数字の逆順などは、もしご高齢の親御さんがいたら、ちょっと試してみてもいいかもしれないです(もし出来ない場合「もの忘れ外来」へ・・)
私の母の場合は、字を書く事が好きだったのですが、だんだんそれも出来なくなってきました。「字が思い浮かばない」「指が思うように動かない」のです。
「なんで、こんな事が出来なくなっちゃったんだろう・・」
とよく嘆いています。
そして何よりも日常の動作で、本人が一番情けなく感じるのは、トイレ・排泄に関する事かと思います。
上手にトイレが出来なくなったり、意図しないところで漏らしてしまうというのは本人にとって堪え難い屈辱で、情けない気持ちでいっぱいになっているんだろうなと思います。
グループホームに入る前は、粗相をした事を知られたくなくて、汚れ物をどこかに隠してしまうので、大変でした・・(どこかで異臭がする・・そして後から掃除した時にふと出てくるので・・)
まとめ
以上、「本人が一番辛い認知症」について記載しました。
冒頭に述べたような「認知症になったら自分は何もわからないから・・」みたいな事を私の叔母もよく言ってましたが、私の母(叔母にとっては、妹)が認知症になって、その様子を間近で見ていて「絶対に認知症にだけはなりたくない」と認識を改めました。
認知症も他の病気と同じで、本人は苦しみ・辛さを味わっています。
「認知症=何もわからなくなる」ではないです。
なので、なるべく認知症にならないように規則正しい生活を心がけていきましょう。