実際に身内が認知症になるまで、認知症について誤解していた事が多々ありました。
認知症は「暇な人」がなると思っていた。
→忙しくてもなります。私の母は知的障害の兄の世話で毎日多忙でしたが、なりました・・
認知症はただの物忘れの激しい状況だと思っていた。
→こちらの記事参照(実の息子も泥棒扱い。認知症の母の幻覚・妄想と闘った日々。)
などありますが、他にも「昔の事は覚えていて、最近の事はすぐ忘れる」「ボケているから、周りは大変だけど本人は何もわからないので幸せ」
という誤解をしてました。
もくじ
認知症の人は昔の事はよく覚えているか?
あくまでも一般的な傾向としては、以下のような事はあるかもしれません。
- 昔の事はよく覚えている。
- 最近の事は覚えていない(というか覚えられない)
ただし、常に全ての事柄について、当てはまるとは限りません。
つい昨日言った事を覚えている事もあれば、長年蓄積されて来たはずの記憶がごっそり抜けている場合もあります。
最近の事をよく覚えているケース
「明日も来るからね」と言った事などよく覚えているし、毎週面会してますが、体調不良でどうしても来れなかった週があった時に、「先週は来なかった」というのも覚えています。
また私は最近、ダイエットしていて8kgぐらい痩せたのですが、「随分痩せてきたね」と普通に言われます。
普通の人でも関心がなければ、徐々に人が痩せて来ていることなんて気づかない事もあると思いますが、よく認知症の母が人の変化に気がつくなと驚きました。
認知症になると短期記憶が出来なくなると言いますが、必ずしもそうではない事がわかります。
昔の事を忘れているケース
一番驚いたのが、母が父の存在自体を全て忘れていた事です。
父は、十年以上前に他界していて、母が認知症になる前は、年に数回は墓参りに行っていたのですが、母が認知症になってからは一度も連れて行ってません。
なので、この前、「今度、久しぶりに親父の墓参り行こうか?」と言いました。
思い出してもらおうと思って、父が生きていた時、闘病で大変だった時、まさに病院で息を引き取った時のエピソードを話しても、全く思い出せません。
挙句の果てには、「よく、今まで隠してたね」とか言われました。
いや、意味わからんし。
父の妹が面会に来た事もあり、その人の事はわかっているのに、父の存在は忘れているとか意味わかりません。
存在を忘れているくらいなので、当然ですが、名前なんて思い出せません。
名前を書いたり言ったりしても、「あー、そうそう・・」という反応にはならずに、初めてその名前を聞いたような反応でした。
結婚式の写真とか並んで写っている写真を見せても、過去の自分はわかるけど、隣の人はわからない・・
いや・・「認知症、怖い・・」と思いました。
ボケてるから本人は幸せか?
これは断言できますが、本人も幸せではないです。
自分が物を覚えられない事、物を忘れてしまう事に対する恐怖感を本人も感じています。
認知症の初期の頃の攻撃性などは、その恐怖感の現れだと思いますし、穏やかになった最近は「なんでこんな事になっちゃったんだろう・・」「なんでこんな事もできないんだろう・・」とよく口に出します。
上に書いた父の件も、私が口に出すまでは、父の事など全く考えてもいなかったのに、私が父の事を話してからは、事あるごとに「写真を見せて」「名前を書いて」と言われます。
写真や名前を見るたびに、全く思い出す事ができない自分自身に絶望しています。
こんな事ならば、父の事など話すんじゃなかったとちょっと思いました。
そのほかにも字を書こうとして「自分の名前が書けない」」といった事でも嘆いたりしてます。
「あんなに字を書くのが好きだったのに、どうして出来なくなっちゃったんだろう・・」
などと言ってます。
今は、嘆いてる姿を見るたびに「誰でも年を取ればそういう事あるよ」「俺だって、すっかり忘れちゃう事あるよ」と言って慰めてます。
まとめ
同じ認知症でも人によって症状は様々なので、ステレオタイプで考えてはいけないのだと思います。
記憶で言えば、私の母も「最近の事はよく覚えている」と言ってるわけではなく、数分前に言った事を忘れる事もあるし、逆に自分の子供の頃の事を覚えている事もあります。
なので、一概に「昔の事は覚えている/覚えていない。最近の事は覚えている/覚えていない」とは言えないのです。
そして、認知症の人が自分が何かをできない事、物を忘れる事を自分自身で嘆くとは思いませんでした。
「本人はボケちゃってるからいいけど、こっちは大変だよな〜」という感じになると思ってました。
とんでもない誤解でしたね・・
自分の記憶が壊れていく恐怖、物事を覚えられない恐怖・・
考えてみると、ゾッとしますね・・・
そう言った恐怖心をどれだけ拭ってあげられるかというのも、認知症のケアには大切なのかなと思います。