2022年現在、ご時世もあって、母の事はグループホームに任せっきりですが、母が認知症になってしばらくの間は、私が病院に連れて行ったりしてました。
また、グループホームに入ってからも、気分転換のために、時々は母を外に連れ出したりもしてました。
外出時は、母はシルバーカー(手押し車)を利用して歩き、私は、それに付き添うような形で歩きます。(大病院など車椅子が用意されているところでは車椅子を使ったりもします。)
そんな母と街を歩いていると、これまで気が付かなかった世界の厳しさを実感する事があります。例えば・・
などなどです。
この記事では、介護が始まってから、私が母と外出する際に気がついた優しくない世界の事象について記載します。
もくじ
段差が多い
健常者ならば、あまり気にならないと思いますが、本当に世の中には、段差が多い!
歩道・車道の境、建物の入り口など至る所に段差があります。
この段差が本当にわずわらしく、かつ危険なのです。
母を車椅子に乗せて押している時も大変ですが、まだこの場合は私自身が車椅子を制御することができます。
厄介なのは、母自身がシルバーカーを押して歩いている時で、段差にシルバーカーが引っかかって進めなかったり、つっかかって、シルバーカーごと転びそうになったりする事がありました。
信号が短い
極端に青の時間が短い信号ってあるんですよね・・・
青になった途端に渡り始めても、渡っている最中に点滅し出す所とか・・いったいどういう基準で時間が決まっているのでしょう?
延長ボタンがある信号もありますが、全てではありません。
特に腹立たしいのは、点滅時間が短い信号です。
渡っている最中に点滅し出した場合に、渡り終えないうちに赤になる・・
点滅し出してから渡り出したら、もちろん渡り出した方が悪いのですが、あの点滅って渡っている人が渡り終えるまでの猶予時間なのでは?
まさか、ダッシュ前提とかじゃないよね・・?
世の中にはダッシュできない人もいるので、せめて平均的な横断時間分の点滅はしてほしいです。
短い信号だと、つたなく歩く母を連れていると怖くて渡れなくて、一度、赤になった後に、次に青になった瞬間に渡り始めるといった最大限の横断時間を確保するような事もありました。(それでもギリギリだったりする場合があります・・)
車の乗降がしにくい
これは世界の構造というよりも車の構造に関する事なのですが・・
車に乗る時って、皆さん、何も意識とかしてないと思うのですが、あれって、結構、変なふうに体を捻じ曲げて乗っているんですよね・・
無理やり言語化すると・・
「右のドアから乗るときには、少し屈んで、お尻をシートの方向に傾ける形で、右足をあげて乗り込み、そこから重心を車内に移して、お尻をスライドさせていって残りの左足を入れる・・」
みたいな感じかと思います。
母が認知症になったときに、どちらの足を乗せるか、足をどういうふうに上げて乗るかといった事を、母自身が分からなくなり、それが毎回繰り返されるのです。
そんな状態なのに、狭い駐車場で隣に車が停まっている場合などは、ドアを横の車にぶつけないようにしながら、母の乗降を補助するので、本当に大変でした。
なお、介護車両を買えばいいのかもしれませんが、なかなかお高いのです・・
トイレがない
「トイレに行きたい」
母と外出している時に、最も恐怖する言葉・・それが「トイレに行きたい」でした。
そこらへんの苦労については以下の記事にも書いています。
トイレ自体が近くにあるかどうかも問題ですが、私と母の性別が異なるという事実も障害になるので、多目的トイレの充実をお願いしたい所です。
※余談ですが、多目的トイレを使って何かしてた芸能人の方がいましたね・・必要としている側からすると、他でやってくれと思います・・
まとめ
以上、母が認知症になってから、一緒に外出する時に気がついた優しくない世界のアレコレについて書きました。
何の障害もない人は、自分・もしくは身内が介護を必要とするまでは、このようなことは気がつかないでしょう・・
高齢化社会も加速しているので、徐々に様々な不便な事が解消されていくことを願います。
(また、何よりも、母が外出できるような状態に社会が正常化することを望みます)