まあ、独身なので、子育てしたことないんですけどね。
なので、「子育て」については私の想像です。ごめんなさい・・
どういう事かと言いますが、親のために食事作ったり医者に連れて行ったりで、認知症になった親の世話をしていると、一周まわって何故か幸せな気分になることがあります。
そこで、ひょっとして子育ってこんな感じなのかなと思いました。
違う事といえば、子育てが日に日に成長していく喜びを感じるのに対して、介護は日に日に衰えていく悲しみを感じるくらいでしょうか。(ベクトルが真逆ですが。)
もくじ
兄の世話は昔からしていました。
兄が知的障害だったので、昔から親の代わりに兄を風呂に入れてあげたりもしてました。
風呂に入れるってことは、当然、体も洗ってあげるわけです。
体を洗ってあげるってこと、当然、シモの方も洗います。
ケツもアソコも洗ってあげます。
また、トイレやトイレ以外で粗相をする事もあり、その場合の後始末もやったりしてましたが、子供の頃から慣れていたので、なんとも思いませんでした。
ある時、ふと「これ、同性の兄貴で良かったな」と思った事があります。
もし知的障害の「姉」がいて、その姉のシモを洗うと思ったら・・・
うーん、考えるのもおぞましい・・と思ってました。
そして母の・・・
そして、はい来ました!
姉よりもおぞましいシチュエーションが・・・・
母です。
風呂に入れるのはデイサービスで頼んでいたのですが、それ以外でもだんだんとトイレで失敗する事が増えて来てました。
そういうときは、やはり、シモの後始末をしなくてはいけません。
最初はやってて絶望的な気持ちになりました。
母親のシモの部分に接触するのなんて、生まれた時以来だよね・・・・
でも、慣れって怖いですね・・
親のシモの世話でも慣れる事ができるんですよ。
慣れると、そんなたいした事なくなってきます。
ひょっとして母親が赤ちゃんのシモの世話とか平気なのと一緒なのかなと思いました。
最後に
もちろん「子育て」と似てるじゃんとか思えるようになったのも、母の状態が落ち着いてきてからです。
母が「物盗られ妄想状態最大出力」の時はただただ辛いだけで、そんな事思いませんでした。
これから、いろんな症状が悪化すれば、またそんな呑気な事なんて思えなくなるかもしれません
ただ、親の世話をする事の全てがストレスではないなと思える今日この頃です。