介護問題

母がまさか認知症に!? 発覚したあの頃を振り返りました。

認知症。あの日

いったい、母はいつからおかしくなっていたのだろう。

あの日、何かがおかしいと思った・・・

けれど大丈夫だと思った・・

そして、ついにそれが確信に変わった日・・・

介護が多少落ち着いた今、あの頃の記憶について振り返ってみたいと思います。

その年の始まり

その年の始まりの頃。私は、後にメンタルを病んだきっかけになった仕事で大変な時期でした。

超激務でしたが、正月は少しだけ休みが取れました。

本当は1人でのんびりしたかったのですが、親から「帰ってこい」という電話がかかってきて、渋々、実家に帰りました。

実家に戻ったとしても、たいした会話もしません。食事時以外は、すぐに自分の部屋に閉じこもってしまいます。それでも同じ家にいるだけで親も安心するのでしょう。

その唯一会話がある食事も、母は年々、適当になってきてました。

味の出来不出来が激しいし、出てくる時間も適当すぎます。

この数年は、なかなか食事が出てこない時は自分で作って食べていたりしてました。

そんなこの数年でも、さすがに元旦は、母も、おせち的なものを作ったり、生協で購入したりしていました。

しかし、その年の元旦はごくごく普通の食事が出てきました。

どど
どど
あれ?今年は普通の食事なの?いつもは何かしら正月らしいものが出てくるのに・・

母は怪訝な顔をし、数秒の沈黙の後、こう言いました。

どど母
どど母
・・・・え?今日って元旦?

流石に今日が何日かわからなくなる事があっても、普通の人は元旦くらいは認識しているでしょう。

しかし、私はこの時、笑い話で済ませてしまいました。

どど
どど
いやいや、マジか。さすがにボケすぎでしょう(笑)

母は知的障害の兄の世話をしているため、色々と忙しく夜も眠れない事が多いので、まあ、そういうこともあるのかなと・・

その数ヶ月後

激務の仕事でメンタルを病んで会社を休んでた頃・・

よく母と電話で話していた叔母から電話がかかってきたことがありました。

「なんか、お母さん、最近、言ってる事が変なんだけど・・一回、医者に診てもらった方がいいんじゃない?」

正月の「え?今日って元旦?」が頭をよぎりました。

急いで、実家に戻りました。

しかし、その時は、話をしていても、別にあまりおかしいとは思いませんでした。

叔母は心配性なので、今回も杞憂だと思いました。

徐々に・・・・

しかし、その後も電話で話していると「ちょっと変な事を言うなあ・・」と思う事が度々ありました。

「ちょっと変な事を言うなあ・・」と書きましたが、今、思えば、明らかにおかしかったです。

生協で頼んでないものが来る。

母は生協で食材などを購入していました。

頼むものは、マークシート形式で記入するようになっており、以前もたまに間違ってチェックしたりする事はありました。

どど母
どど母
生協で、頼んだものといつも違うものが来るのよ!
どど
どど
いや、マークシート付け間違えたんじゃないの?
どど母
どど母
そんなわけないでしょう!ずっとやってるんだから!

私でも違ったものが来たらマークシートのチェック間違えたのかなと思いますが、自分が間違った可能性については全く考えないのです。

兄が喋る

兄は先天的な障害があり、しゃべる事はできません。

しかし、「最近は兄が喋る」と言い出し始めました。

どど母
どど母
最近、良く喋るのよね〜
どど
どど
いや・・夢でも見たんじゃないの?
どど母
どど母
そんなわけないでしょう!喋ってるのを見たんだから!

まさか50過ぎて急に喋り出すはずもなく「夢でも見たんじゃないの?」と言っても全く聞きません。

今、思えば、この時点でかなりヤバいです。

しかし、それでも母が認知症だとは信じたくありませんでした。

そして・・

すでにメンタル休暇から復帰して2ヶ月ほど経過した頃でした。

ようやく仕事の勘も戻ってきて、精神状態も安定しており、穏やかな日々を過ごしていました。

そんなある日の夜。

21時頃、叔母から突然電話がかかって来ました。

「お母さん、やっぱりおかしいよ!」
「お母さん、やっぱり、本当におかしいよ。認知症みたいだよ!」

元旦から始まって「気のせいに違いない」と思っていた様々な事が頭に蘇って来ました・・

次の日は、仕事で大事な打ち合わせがありましたが、同僚に事情を説明して了解を得て急遽実家に戻りました。

母は玄関で横になっていました。

一瞬、血の気が引きましたが、声をかけたら反応があったのでホッとしました。

単に疲れて眠っていただけのようです・・

ただ、玄関で寝ている事自体、やはり異常です。

そして、自分がいきなり帰って来たというのに、それに対する驚きの様子など全くなく、気の無い返事をするだけです。

そして、なんかワケの分からない事を言ってます・・

どど
どど
ああ、これが認知症か・・・

そんな母親と何もわからずに部屋にいる知的障害の兄を見つつ、絶望感に襲われました。

これが、介護の始まりでした。

最後に(後書き)

実はここまで書いたものが、本サイトの元々の最初の記事の内容でした。(見直したら、かなり稚拙な部分があったので、結構、書き換えましたが内容は一緒です。)

現在の最初の記事は以下になりますが、この記事は上の内容を大幅に書き変えたものです。

認知症の発覚
認知症の予兆に気づく事ができなかった。それ、物忘れで済ませてませんか? 年老いた親がなんかボケた事言っても、まあ、年だから仕方がないかと思いますよね。 私もそう思ってました。 そしてある日、母が認知症...

書き換えた理由は、ブログで稼いでいくためには個人体験ではなくノウハウを提供しなければいけなく、個人体験はあくまでもそのスパイスでなければいけないと思ったからです。

しかし、どう書こうが、大してブログでは稼げないことが分かった今、最近は、あまり気にしていません・・

と言うわけで元々の最初の記事を履歴から再現してみました。

書き換えたものと異なり、自分語りオンリーで感情的ですが、これはこれとして1つの記録として残しておこうと思います。