認知症が単なるもの忘れがひどい状態ではないという事はこのサイトでもいくつか記事にしています。
ただ、これらの記事で問題にしていたのは、主に「物とられ妄想」でした。
物とられ妄想は、介護者にとっては、本当に厄介なので、ついつい注目してしまいます。
一方、数ある認知症の症状の中で、本人にとって最も厄介なのは何なのか?
それは、見当識障害ではないでしょうか?
もくじ
見当識障害とは?
認知症のテストで有名なものにMMNE(ミニメンタルステート検査)と長谷川式認知症スケール(HDS-R)というものがあります。
この2つの認知症のテストの共通項として、「時間に対する見当識」「場所に対する見当識」のテストがあります。
例えば「時間に対する見当識」のテストは、以下のような事を本人に聞きます。
- 今年は何年ですか?
- 今の季節は何ですか?
- 今日は何月ですか?
- 今日は何日ですか?
- 今日は何曜日ですか?
また「場所に対する見当識」のテストは、以下のような事を本人に聞きます。
- ここは何県ですか?
- ここは何市ですか?
- ここはどこですか?(家?病院?)
見当識障害とは、自分の置かれている状況(時間、場所、対人)がわからなくなることです。
ものごとを覚えられなくなるのも、覚えていたことを忘れるのも、それはそれで本人にとって辛いでしょう。
しかし、今、この瞬間の自分が置かれている状況を理解できないというのは、それ以上に辛く恐ろしいことなのではないでしょうか?
私の母の場合
私の母の場合、「ここはどこなのか?」に関しては、それほどひどい状態ではありませんでした。
しかし「今はいつなのか?」については、本当に混乱していました。
まず1日の範囲内で言うと、朝か夜かがわからないのです。
夜中に出かける準備をしようとしたりします。
普通の人でも、中途半端に長い昼寝をして起きた時に、一瞬だけ今が何時なのかわからなくなる事があると思いますが、その「一瞬」の状況が続いてしまってる状態なのだと思います。
季節の混乱も酷かったです。
秋なのに「春らしくなってきたね」と言ったり、冬なのに「今年の夏は寒いね」とか言ったりしていました。
おそらく年単位の間隔も全くわかっていないと思います。
ただ、「年単位」に関しては、自分がグループホームにどれだけ長くいるのかなどを認識せずに済んで、ひょっとしたら救いになっているのかもしれません。(逆に必要以上に長く感じているかもしれませんが・・)
介護者はどうすれば良いか?
本人がトンチンカンな事(冬なのに「夏なのに暑い」等)を言った時に、どう反応するかは難しい問題です。
見当識障害は、本人が一番不安だと思います。
本人が不安にならない事が重要なので、私は、季節を勘違いしている程度のことは、放置していました。
朝と夜を勘違いして「寝る」「寝ない」「出かける」「出かけない」などで支障が出る場合のみ、優しく「違うよ」と諭していました。
まとめ
認知症の症状は多種多様で、本人の苦しみも介護者の苦しみも人それぞれでしょう。
しかし、そのような多種多様の症状の中でも、見当識障害は「自分がそのような状態になったら・・」と想像すると本当に恐ろしいです。
母がそのような症状を示した時、私の対処は以下のようなものでした。
- 何の支障をきたさない場合は放置する。
- 何かしら支障をきたす場合は優しく諭す。
目的はとにかく不安にさせなく穏やかでいてもらうことです。
人生の残りの時間をできるだけ穏やかに過ごさせてあげたいものです。