ある時、私は過酷な仕事でメンタルになり会社を3ヶ月休みました。
その後、なんとか復帰したのですが、その1ヶ月後に親が認知症になりました。
この記事では、介護でメンタルがぶり返した私が、なんとかマトモな精神状態に戻るまでの顛末を書いてます。
もくじ
絶望感
仕事をドクターストップで休んでた3ヶ月間と復帰後の1ヶ月は、心は穏やかでした。
医者からもらった薬も、実は飲んだり飲まなかったりで・・
職場への復帰直後は、流石に1日中机に向かっていることに疲れましたが、精神的には全く問題ありませんでした。
でも親が認知症になってからは、もうこれまで体験した事のない絶望感を味わいました。
まさに文字通り気が狂いそうになりました・・
因みに・・
仕事のせいでメンタルになった時は、絶望というよりも怒りの感情の方が強かったです・・
なんで俺ばっかりこんな仕事が多いんだという怒り、「周りはバカばっかだ」とかいうちょっと(だいぶ?)奢った怒りの感情でした。
その感情が加熱しすぎて、最終的にブレーカーが落ちたような感じでした。
仕事ならば、きついプロジェクトも終わりが見えますが、親の認知症で介護となるといつ終わるかわかりません。
- このまま認知症の母親と知的障害の兄貴を抱えたまま俺の人生どうなっちゃうんだろう・・・
- もう、まともに働く事とかできないんじゃないのか・・
- もう、自分の好きな事とかできないんじゃないのか・・
・・とか破滅的な事も考えました。
仕事との両立
もちろん、仕事をしていても身に入りません。
介護手続き関係だけでも盛りだくさんで、母親の事務手続きをしているのか兄の事務手続きをしているのかわからなくなる時があって、「あれ?今、どっちの話でしたっけ?」とか相手に聞いたりしてました。
それに仕事の予定まで加われば、もうスケジュールは、公私(仕事と介護)ともにビッシリです。
会社で絶対に休んでいけない日(客先との重大な打ち合わせ、成果発表、納品など・・)をずらして通院日程とかも調整して・・などで本当に疲れました。
そして仕事中でも、介護の手続き関連で電話があちこちから、かかってくる事かかってくる事・・(どうして役所とか電話文化なの?・・と言う愚痴記事はこちら)
本当にパニックでした。
そして、会社というものは、仕事に関するメンタルについては、残業や仕事内容について配慮してくれますが、プライベートな事に関するメンタルについては、全く考慮してくれません。
通院や手続きの事で流石に休みは取れますが、それで仕事が減ったりはしないので、他の日に頑張るしかないです。
よって、私が大変な状況なのはわかっていても、仕事を緩くしてくれるとかそういうのは全くなかったです。(実際に仕事をしている仲間は多少考えてくれましたが・・)
まあ・・私も過去に、”家庭問題で遅刻しがち・休みがちだった部下”に対して・・
と偉そうに言ってた事もあるので、ブーメラン直撃です(笑)
どうしてもダメなら会社に休職を申し出るとかすればいいんですもんね・・(そう思うのは社畜だからなのかな・・?)
だから、文句を言えないのですが・・
当事者になると、流石にちょっとは配慮してくれないかな・・と思ったのも事実です・・
心療内科にて薬の追加
一度は落ちた体重もまた増えて(ストレスで増えるタイプです・・)、比例するように一度は落ちた血圧も再び上昇して、薬もより強いものになりました。
そんな状況で、流石に、心療内科の医者にも相談しました。
毎日飲む抗うつ剤に追加で、「やばいときに飲む薬」として抗不安薬をもらいました。
そして、だんだん眠ることも出来なくなってきたので、睡眠薬ももらいました。
抗不安薬は、確かに飲むと少し気が楽になりました。
ただ、なんというか・・感情とか考える能力がなくなるような感じもしました。
そりゃぁ・・考えなければ、悩まないよね・・
※あくまでも個人の感想で、薬の効果について述べたものではありません。
その時の仕事は、今まで経験したことのないデータ分析の仕事だったため、「頭を使わなければいけないのに、頭を使う事ができない」・・そんなジレンマにおちいってました。
大事な打ち合わせや、プレゼンの時は、あえて飲まないで会社に行ったりしてました。
因みにですが、兄はもともと精神安定剤を飲んでいるし、母も「物盗られ妄想」で向精神薬飲んでるので、「一家で、そっち系の薬飲んでるのかよ(笑)」とか思うと、乾いた笑いがこみ上げました。
兄も入る施設がなくて、一時的に精神病院に入ってたので、「このままいっそ家族、全員で精神病院に入ればいいんじゃないの?」とか自虐的な事を思ったりもしました・・
結局、どうやって耐え切ったか?
そんな中でもなんとか耐え切る事ができたと思ってます。
以下に、今になって思う「耐えきることができた」理由を書きます。
一番大変な時に辞めなくてよかった・・かな?
結局、今は会社を辞めてしまったわけですが、「一番大変な時に」辞めなくてよかったと思います。
そのタイミングで辞めると、体は少し楽になったかもしれませんが、頭の中が全て介護なので、絶望しかなく、逆に押しつぶされてしまってたような気がします。
仕事も大変だったけど、介護以外の事を考えられてよかったのかもと思います。
将来の事とか考えないように努める。
まあ、ありきたりですが、将来の事とかあまり考えない方がいいですね・・・
だって、介護でこの先の事とか考えたら、もう絶望しかないですよ。
親だって自分だって、いつ死ぬかわからないんだから、とりあえずは、その時にやる事を淡々とこなすように努めるようしてました。(以下の言葉をなんども思い返してました。)
「ひとつひとつかたずけてゆくんだね具体的にね」
by 相田みつを
あらゆる手段で愚痴る。
一応、愚痴る事ができる会社の同僚がいました。
たまに飲みに行って愚痴る事ができたのもよかったかもしれません。
愚痴ることによって、ストレスは解消しないという話もありますが、誰にもこぼせなかったら、やはりキツイものがあったと思います。
また、LINEが役に立ちました。
当時はLINEで、5,6人に愚痴・・というより以下のような事を「実況中継」してました。
「病院来てるんだけど、待ち時間長すぎ・・」
「今、診断結果出た・・。脳がスカスカだった・・」
「家に戻ったら母親いないんだけど・・」
「二階に知らない人がいるとか言ってるんだけど・・」
実況中継すると、多少は客観的になれるのか、少し気が楽になりました。
twitterとかやってる人ならば、それでもいいかもしれません。(公開範囲広すぎかもしれませんが・・)
薬である程度はカバーする。
上で述べたように「悩まなくなるけど、考える力もなくなる」感があったので、個人的には、あまりメンタル系の薬は好きではないです。
それでも一時的には、役に立ったかなと思います。
もっと重大な被害(自殺とか?)に発展するくらいならば、一時的ならば、飲んでもいいかなと思います。
最後に
結局、これといったきっかけがあったわけではないですが、自然に気持ちも落ち着いてきました。
薬も二年ぐらいで止めることが出来ました。
今では睡眠薬がなくてもぐっすり眠れます。
やっぱり薬をやめてからの方が、頭が冴える気がします。
一時期は、ボケボケで、自分も若年性認知症なんじゃないかと思って怖くなったことがあったぐらいだったので・・
これからも、何があるかわからないし、介護も完全に解決した訳ではないですし、仕事どうしようかなあ・・というのもありますが、ケセラセラの精神で生きて行こうと思います。