ネットを見ていたら、以下の記事が目に入ってきました。
雑な要約をすると、介護サービスへの依頼を怠っていたために、親が熱中症になって入院して、介護サービスの費用よりも高額な入院費がかかったという事例です。
書いてある事は正しいのですが、読んでいて、ちょっとした違和感を覚えました。
その違和感とは何でしょうか?
なお、本記事は上記の記事への批判ではなく、その違和感をきっかけに考えた事について書いているだけなので誤解なきようお願いします。
もくじ
お金の問題なのか?
記事の主張自体には納得感があり、完全に同意です。
介護では、お金を使うべき時に使うべきです。
違和感を覚えたのは、ビジネス書ライクな損得計算的なものを文章から感じたからです。
まるで「然るべき時にちゃんと投資をしておけ」みたいな・・
(注:引用元には、そうとは書いていません。あくまで私の印象です。)
記事は、テーマがぼやけないように、あえて、お金の問題にフューチャーしているのだと思います。なので、繰り返しますが、記事への批判ではありません。
もちろん、介護のお金の問題は本当に重要な事であり、本サイトでも何回か取り上げてきました。
「入院費>介護サービス料金」な事が問題だと言うのならば・・・
「入院費が介護サービスで支払うはずだった金額よりも少なかったらOKだったの?」
「いっそ熱中症で死んでしまっていたら、介護サービスにもお金を払わずによかったって事になるの?」
と思ってしまいました。
本当に親の命はお金より大事と思っているか?
「何、お金の問題にしてんだよ。命の問題だろ!」
「そうだ、お金の問題ではない!」
「介護サービス費用が、いくらであろうと、活用しておくべきだったんだ!」
うん、正論です。
違和感が、それだけの問題ならば、そんなには引っかからなかったのですが・・
「親の命はお金には変えがたく、いくら大金を積んだとしても、できる限り長生きしてほしい」
と思っているのかと自問すると・・正直、自信がありません。
介護が始まってから、お金について考える事が増えました・・
実際、グループホームに入ってからは、月々の年金収入に比べて出費(グループホーム、介護サービス費用、医療費その他)が多く、母の貯金を切り崩しています。
そうすると、やはり「母親が何歳まで生きることを想定すれば良いか?」を計算してしまいます。
オブラートに包まないで言えば「母親が何歳まで死ねば、大丈夫か?」です。
介護をする人は、一度は考えてしまうのではないでしょうか?
母親を家で介護していて、介護離職している場合(もしくは元々、引きこもりで無職な場合)などは、むしろ年金で母親と自分の生活費まで、まかなえる事もあります。この場合はむしろ母親が亡くなった方が金銭的にも自分にとって都合が悪く、少しでも長生きをして欲しいでしょう。命とお金がトレードオフにならず、ある意味、健全かもしれません・・・
まとめ
生きるためには、お金が必要です。
貯金の残高を見て「母は何歳まで生きるのだろう」といった事がふと頭をよぎり、罪悪感を覚える事は時々あります。
冒頭に紹介した記事に違和感を覚えたのも、そのような自分の罪悪感の反映なのだと思います。
ただ、最近は、そんな考えが頭をよぎる親不孝者の自分が出てきたとしても、開き直っています。
罪悪感を覚えたとしても、それによって母の寿命をコントロールできるわけでもなく、自分が何を考えていようが無意味です。
そして普段は、当たり前のように、親の長生きを願っています。
身内が死んだ時の悲しみは、父と兄の時で身に染みているので、母の時の悲しみは想像するのも嫌で、その悲しみが、可能な限り未来である事を望んでいます。
結局、そのような矛盾を抱えて、生きていくしかないと思っています。