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グループホームでの面会制限中に考えた。「本当に自分は親に会いたいのだろうか?」

会いたいのか
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認知症の親に面会ができない状態になって約2年。

早く普通に何の制限もなく面会ができる状態にならないものか!!

あぁ、早く母親に会いたい!会いたい!会いたい・・・

いや、ちょっと待て・・

本当にそんなに会いたいのだろか・・?

実はそんなには会いたくない・・

そう・・薄々勘づいてはいましたが、本当の感情を暴露すると、そんなに会いたくないんですよね・・・

薄情といえば、薄情なのですが、偽りない本当の気持ちです。

もちろん、母親がどうなってもいいとかいう意味ではなく、心配だし、面会も早く再開してほしいとは思いますが、「強烈に会いたい!」という感情はないのです。

正確に言うと「会いたいと思う感情」が、寂しさから来るものではなく、義務感+心配という感情からくるものなのです。

なので、毎週面会できていた時は、正直、面倒くさいと思う事もあったし、他に兄弟がいて、それで親が満足しているならば、あえて頻繁に会いに行くこともなかったと思います。

親の感情と非対称

では母親の方からすればどうでしょうか?

おそらく強烈に子供に会いたいと思っており、それは寂しさから来るものだと思います。

親は強烈に会いたいと思っており、子供はそうでもない・・なんと残酷なんでしょう・・

でもこういった事は、私に限らず、子供が成人になれば、普通に起きている事なのだと思います。

親と別居していて、「実家に帰ってこい」と言うのは親の方で、子供の方は面倒臭くて帰りたがらない・・それでも帰省するのは「親にときどき、顔を見せるのも義務」という理由が多いのではないのでしょうか?

自立した子供は親に会わなくても問題ないような感情になるようにできているのだと思います。(普通に考えて、成人になって親に会いたくて仕方なかったらちょっとアレですよね・・)

親にとっては残酷ですが、仕方がないことなのでしょう。

親に再び会いたくなるのは死んだ後

そんなわけで、成人になって家を出た場合、親が死ぬまでに親に会う日を数えれば、足し合わせたら少なければ数10日、多くても数100日程度なのではないでしょうか?(例えば年5日帰省するとして家を出てから30年後に亡くなるとしたら150日)

そんな風に、成人になってから、それほど会わず、別に会わなくても寂しくない親に強烈に会いたくなる時が訪れる時があります。

それは親が死んだ後です。

もうそれは絶対に叶うことがなく、こんなことならば、もっと会って話していれば良かったなと親が死んだ後に思うようになるのです。

これは父、そして兄が死んだ後に本当に実感しました。

父とは亡くなる前の数年、あまり関係が良くなかったし、兄も知的障害なので会ってもたいしたコミュニケーションもできないのですが、亡くなった後は、やはりもっと会って話しておけば良かったと思います。

まとめ

つまり、今わかっているのは、次の2つの事です。

  • 正直、今は会わなくてもそんなに寂しくないけど義務感で会おうとしている・・・
  • しかし亡くなった後は寂しくなって、強烈に会いたくなる・・・・

この感情の矛盾にどう向き合うか・・

とりあえずは、義務感から来るものだとわかっていても、可能な限り会いに行くしかないのだと思います。

そんなわけで、早く面会制限がなくなる事を祈るばかりです。